青江三奈 YouTube

”助っ人”を自称する川内康範が名付け親。彼の。ため息路線”
に乗った歌手である。

高校在学中から銀座の「銀巴里」でステージに立つ。クラブ歌手から、
昭和四十一年、川内康範作詞・浜口庫之助作曲の「恍惚のブルース」
でデビュー。

八十万枚の大ヒットを飛ばし、四十三年に、歌い出す前に
「ハァハァと、色っぽい吐息を入れた「伊勢佐木町ブルース」で
ミリオンセラーを記録した。

作詞は川内康範・作曲鈴木庸一だった。大言壮語癖のあった川内は、
この歌を三十万枚は売ってみせると約束し、青江三奈に大胆な吐息
を演じさせたのだった。

作曲の鈴木は「東京ドドンパ娘」で、ドドンパーリズムを歌謡曲に
加味させて成功させていた。

それだけに「伊勢佐木町ブルース」では、3・4 3・43・4の
字足で進行して、サビの部分で
「ドウドウビ ドウビドウビ ドウビドウヴァー」とスキャットを
入れる異色の詞を渡され、ブルースの曲想に思いきった展開を
用意したのだった。

「伊勢佐木町ブルース」は、青江三奈の冒頭のため息が話題を呼んで、
出足がよかった。

この好調な売れゆきに喜んだ地元伊勢佐木町は、町を挙げてのPR
作戦にのり出したため、商店街のスピーカーは終日、
「あなた知ってる 港ヨコハマ……」の一曲に制圧された。

この年、青江は川内康範作詞・曽根幸明作曲の「札幌ブルース」、
吉川静夫作詞・渡久地政信作曲の「長崎ブルース」、さらに
佐伯孝夫作詞・鈴木庸一作曲「新宿サタデーナイト」と、
札幌、長崎、新宿と地元ソングを連続ビットさせ「長崎ブルース」は
「伊勢佐木町ブルース」の百万枚をさらに二十万枚越える大ヒット
になった。

青江の快進撃はさらに進み、翌四十四年には、
吉川静夫作詞・渡久地政信作曲の「池袋の夜」で百五十万枚の
大ホーマー。

干坊さかえ作詞・花礼二作曲の「国際線待合室」で八十万枚のヒット
を飛ばすなど、目を見張る活躍ぶりだった。

「国際線待合室」を作曲した花礼二は、若い日青江と同棲して
歌唱指導をしていた師弟の間柄だった。

この花礼二は、平成十二年青江三奈が膵臓ガンで倒れ、九時間に
及ぶ犬手術を受けて一応手術は成功、復帰に向けて執念を燃やし
はじめた頃、青江に病床へ呼ばれて婚姻届にサインをしていた。

青江三奈は、その二ヵ月後に死去したことから、名目上の夫と
なった花礼二と、青江の兄弟の間で激しい遺産争奪戦が起こり、
マスコミの格好の話題になった。

死人に囗はないが、花礼二によると、大手術に成功して、
一応退院した青江にガンの転移が分かった時点で、彼女は花礼二
に連絡し、十九年ぶりに再会を果たして、書類上で婚姻を結ん
だのだという。

しかし、この囗実は青江兄弟には、絶対に受け入れがたいこと
だった。

遺産問題はともあれ、青江三奈の三十年の歌手生活で残された歌は、
前記のヒット曲の他におびただしい数にのぼっている。