梓みちよ YouTube

昭和天皇、皇后の前で「今日は赤ちゃん」を歌った歌手である。

宝塚音楽学校へ入学するも、渡辺プロダクションのオーディション
に応募して合格。

宝塚を中退して上京し、昭和三十七年に、当時流行のきざしが
見えはじめたサンバにモダンジャズが混じった陽気なリズム
”ボサノバ娘”のキャッチーフレーズで「ボッサ・ノバでキッス」
でデビューした。

翌三十八年、田辺靖雄とのデュエット「ヘイ・ポーラ」
「けんかでデイト」でそこそこのヒットの後、NHKの
『夢であいましょう』今日の歌として発表された
永六輔作詞・中村八大作曲「こんにちは赤ちゃん」を
歌うめぐり合わせになった。

この歌は、当時、売れっ子作曲家中村八大が、わが子の誕生に
立ち合い、生まれたばかりの嬰児に、
「こんにちは! ぼくがきみのパパだよ」と話しかけたのを見て、
同席した永六輔が感動して作詞した経緯があった。

永は中村八大から作詞家になるきっかけをつくってもらい、
ヒット詞を書いて潤沢な印税の恩恵にめぐまれていた。

その恩への六か八への出産祝いだったわけだが、八大は直ちに作曲して、
明るい希望にみちた「こんにちは赤ちゃん」の誕生になった。

ちょうどその時、NHKテレビの「夢で逢いましょう」に梓みちよの
歌を作る必要に迫られていたので「私かがパパよ」の部分を「ママよ」
に変え、歌わせることにした。

「清く正しく美しく」を謳い文句にする宝塚音楽学校中退の未婚歌手に
「こんにちは赤ちゃん」を歌わせることには、多少の異和感はあった。

が、テレビで放送されると、全国的な反響を呼び、キングでレコード化
されることになった。

いざ臨時発売してみると大ヒットとなり、第五回日本レコード大賞を受賞。
翌三十九年、椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待されて、
昭和天皇・皇后の御前でこの歌を披露し、希有な天覧歌手になった。

しかし、大ヒットの後は不振つづきで、俳優和田浩治と昭和四十六年結婚
したが、翌年には離婚し「こんにちは赤ちゃん」のヒットで三十八年から
五年連続登場していた紆白歌合戦も落選していた。

ヒットに恵まれず、紅白からも見放され、私生活では離婚と、梓みちよの
清純歌手路線は行き詰っていた。

彼女は、この危機感から四十年代後半に入ると、大人の女路線へと
イメージチェンジを図りはじめた。

まず、昭和四十五年に「朝とブラックタイ」、ついで「売れ残っています」
「陽のあたる窓辺」「愛はルフラン」と新曲に挑んで、四十九年に発売した
のが「二人でお酒を」だった。

「二人でお酒を」は山上路夫作詞・平尾昌晃作曲のリズミカルな明るい歌で、
みちよはステージであぐらをかいて歌うという大胆なポーズを見せた。

一説によると、ふんわりとしたスカートの下に、下腹部を覆う下着は付けず、
その緊迫したお色気が、聴く者を酔わしたのだと噂された。