石原裕次郎 YouTube

昭和がいちばん輝いていた時代に、日本中を沸騰させたヒッタースター
であった。

父が山下汽船の重役だったため、神戸、小樽、逗子と転々する。
兄慎太郎が一橋大学在学中に『太陽の季節』で芥川賞を獲り、弟裕次郎は
その映画の端役でデビュー。まだ慶応義塾大学
法学部に在学中だった。

『太陽の季節』のネタは、裕次郎の放蕩生活から出ていて、次の慎太郎作品
『狂った果実』で後に妻となる北原三枝と共演。

その後、主演映画が連続ビットし、またたく間に昭和を代表するスターの
一人となって、映画と活躍した。

大スターであるのに「俳優は男子一生の仕事にあらず」と語り、まして
「嵐を呼ぶ男」「銀座の恋の物語」「二人の世界」「夜霧よ今夜も有難う」
など、数々のビットを飛ばしながら「歌は素人」の理由で、NHK紅白歌合戦
には、昭和三十二年に雪村いづみの応援ゲストに出演以外、歌手としては
生涯出場しなかった。

その石原裕次郎が、牧村旬子とデュエットで歌った「銀座の恋の物語」は、
昭和三十五年十二月一日に吹き込まれた。

北原三枝との熱愛が実って結婚する五日前であった。
『街から街へのつむじ風』の挿入歌に予定され、作曲はこの映画の音楽監督・
鏑木創に決まっていたが、クラシック音楽を学んだ鏑木には、ポピュラーの
ラブソングヘの作曲のノウハウはなかった。

急遽、テイチクの中島賢二ディレクターのサジェスションを受け、当時、
ヒット街道驀進中のフランク永井と松尾和子のデュエット
「東京ナイトークラブ」を参考に、仕上げた。

デュエットには珍しい、女性が先に歌う仕掛けで、レコード会社の重役たちは、
天下の大スター裕次郎に先んじて新人風情の牧村旬子が歌うのは非礼だと
の意見があった。

しかし、裕次郎には全くのこだわりはなく。

「コオコオロオノオソオコオ」と、歌い出しのフレーズが、六つ続きの「オ」
の韻をひびかせる妙味もあって大ヒット。

カラオケのデュエット曲の王座を長年占めていた。

「嵐を呼ぶ男」「夜霧よ今夜も有難う」「粋な別れ」など。歌うスター、裕次郎は、
ヒットソングを数多く飛ばすが、ホロ酔い気分でないと、テレて歌えないと、
吹き込み前にビールを三、四本飲んでいた。

録音技術が長足に進歩した昭和三十年代、裕次郎の吹き込みに当たっては、エコー
をかけて、渋味のある独特な歌声に輻を加えた。

その結果、ナット・キングコールもかくやと思えるムードがにじみ出る、素晴らしい
味わいが生まれたのだった。

怪我と病気でピンチにあった時、裕次郎から直に頼まれて「夜霧よ今夜も有難う」
と「粋な別れ」を作詞・作曲し、感謝された浜口庫之助は、

「裕ちゃんは歌はうまくないが、おいしい歌を歌える歌手です」と、解説してくれた
ことがあった。

たしかに、裕次郎の歌には聴く者の心に迫る”おいしさ”があった。